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『知的戦闘力を高める独学の技法』(山口周)から「老害」を考える

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どうも、tamaminaoです。なかなか定期的に更新できずにいますが、元気です!

小説ばかり読み漁っていた今日この頃ですが、ふと本屋で見つけた実用書に一目ぼれして購入。久しぶりに小説以外の本を読みました。

本好きにはかなりグッとくる1冊でしたので、紹介させて頂きます。

山口周さんの『知的戦闘力を高める 独学の技法』(ダイヤモンド社)です。

 

読書の目的

山口さんは、読書には、大きく次の4つの目的があるとしています。

①短期的な仕事で必要な知識を得るためのインプット=主にビジネス書

②自分の専門領域を深めるためのインプット=ビジネス書+教養書

③教養を広げるためのインプット=主に教養書

④娯楽のためのインプット=何でもあり

「技術やビジネスモデルの「旬の期間」がどんどん短縮化しつつある現在の社会では、ある局面で有効だった知識が、すぐに時代遅れになります」という指摘は、ものすごいすとん、と胸におちます。そして、現在の日本で問題になっている「老害」の意味合いについて次のように解説します。

「知識のアップデート」に失敗した人、知識のクオリティーと権力の大きさのバランスを崩した人が引き起こす問題だと考えられます。これはもう使えないとは考えずに時代遅れになった方法論や知識にしがみついて困った人残念な人になってしまう事例ですね。

50代の自分には大変耳に痛い言葉でした。

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思考の礎になるのは教養

さて、ではこのような時代に「自分はどのように振る舞うべきか」「これから何が起きるのか」といった問いを考える場合、思考の礎となるのは何なのか。それは教養である、と山口さんは言います。

歴史、経済学、哲学、心理学、文学等、直接ビジネスとは関係しない「教養=リベラルアーツ」が、「知的生産の分野においてパワフルな武器になる」と。最後の章では各分野のおすすめ本を紹介しているのですが、非常に知識が幅広く、また、根底に本が好き・読書が好き、というのが感じられて、とてもよい読書案内にもなっていました。

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教養でマウント取るのは無教養

一方で、「仕事でなかなか成果が出せないコンプレックスを、教養をひけらかすことで埋め合わせ」るのはやめた方がいい、という指摘もあり面白く読みました。

「大事なのは「知っていること」ではなく、それを「より良い生」に反映させること」(司馬遷)、「本当のアーティストは出荷する」(スティーブ・ジョブズ)

「安易な教養主義への逃避は、ますます自分の人生を貧しいものにする可能性がある」と。

「教養」をマウンティングで使うのは単なる「無教養」だ、という指摘かと思います。個人的にはスティーブ・ジョブズの言葉にぐっときました。「本当のアーティストは出荷する」、格好いい!!!

 

ビジネス現場における「老害」を考える

さまざま示唆に富む1冊でしたが、知識がアップデートできない「残念な人」=「老害」という指摘が胸に痛かったので、最後、考えてみたいと思います。

コロナ禍になってから、世の中はますますIT化が進み、うちの会社も例外ではありません。会議はZOOM、社内コミニュケーションはSlackを使用、見てない人は情報に遅れる、という状態です。

若い世代にとってはZOOMやSlackを使うことなど、呼吸をするように簡単なこと。「分からない」という理由が分からんわ、という状態。しかしある年齢から上の人たちにとっては、ただの「手段」であるはずのそれらを覚えることが、大変な労力を要します。

例えば、「次の駅まで電車に乗り、そこで人に合う」というのがミッションだとします。しかし、そもそも電車の乗り方が分からない、覚えるのに膨大な時間がかかる、となれば、目的地に行くことすらできない、という事態が起きます。

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「人」を変えるのではなく「システム」を変えよう

50代の私は「かろうじて」変化についていっている状態ですが、ついていけずに苦しむ上の世代の人たちの気持ちが、もう、苦しいほどにわかります。一方で、できない、もしくはやろうとしない彼らにイライラを募らせる若者の気持ちも分かる…。

考えるのは、「人を変える」のではなく「システムを変える」ことで、実はどうにかできるんじゃないか、ということ。

コロナワクチン接種の予約

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例えば、コロナのワクチン接種予約ですが、ネットやSNSからの予約だとスムーズなのに、電話は込み合って通じない、という事例があったかと思います。近くに手伝ってくれる若者がいない年寄りは大変苦労しているというニュースを見ました。

パソコンやスマホが使えないと、必要な手続きも進められない世界なんだ、とぞっとしました。生きるためには使いこなすことが前提となると、それができない人間を「害」呼ばわりする空気が生まれます。しかし、それは、未来の自分を真っ暗にしていく行為だと思うんです。

どんな人間にも共通しているのは年を取る、ということ。「老害」と笑う若者もいつか年を取る。新しいテクノロジーは続々生み出されていき、年を取った彼らにはもう使いこなせない。今度は自分が「老害」になる番です。永遠これが続いていくわけです。

赤ちゃんから老人まで簡単に使いこなせるものに

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私は技術者でも何でもないので、具体的なことは言えないのですが、今のパソコンやスマホは「難しい」「一部世代しか使えない」機器になっている、ということなのだと思います。

素人の「例えば」ですが、設定は画面に指紋をつけるだけ、「コロナワクチンの予約したいです」と声をかければすぐ画面が出てきて名前や年齢を言うだけ、でOKならば、年寄りでも問題がないわけで、人の変革ではなく、本来は技術の変革を目指すべきだろう、と、考えるわけです。

機器の使い方を覚えるのに時間をかけるなんて本当は馬鹿馬鹿しいこと。本来時間をかけるべきところは、機器を使って「何をするか」だから。

解決策は様々な世代や様々な立場の人間への想像力を育むことでしか出てこない。本書が言うところの、教養をつける、とは、そういった想像力を育むことなんじゃないかと、思うのです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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