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現役編集者によるおすすめの本や漫画の紹介です。

ヘレン・ケラーVSアン・サリバン、「天才」はどっち!?~サリバン先生の生い立ちと教育方法を知る「おすすめ本4選」~

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「三重苦の人」ヘレン・ケラーと言えば、きっと知らない人はいないことでしょう。そして、サリバン先生こと、アン・サンバリンのことも。

伝記や偉人伝で読んだ、と言うケースがもっとも多いのかな? 実は「奇跡の人」という言葉は、ヘレン・ケラーではなく、アン・サリバンに向けられた言葉。ちなみに、名付け親は『トム・ソーヤの冒険』で有名な作家マーク・トゥエインです。

さて、今、私の中で「アン・サリバン」が大ブーム! きっかけは、平山夢明さん監修の『トゥルークライム アメリカ殺人鬼ファイル』でした。

 

『トゥルークライム アメリカ殺人鬼ファイル』の問題提起

『トゥルークライム アメリカ殺人鬼ファイル』は、実在の殺人鬼について解説する「犯罪ドキュメンタリー番組」を書籍化したもの。

「苦手な分野だ」と感じる人もいるかと思いますが、冒頭(「はじめに」)の平山夢明さんの文章だけでも是非読んでもらいたいです! 実に素晴らしいので!

平山さんは、ある2人の人物の生い立ちを紹介します。Aは女性でBは男性。どちらも悲惨極まりない幼少時代を送り、成人して後世界的に有名な人物となります。

 

Aの女性こそがアン・サリバン、Bの男性は全米史上最悪の連続殺人鬼と呼ばれたヘンリー・ルーカス

Aはアイルランド系移民の子供として極貧家庭に生まれ、8歳で母が病没した2年後、子供の養育に飽き飽きしたアルコール依存症の父親は、彼女と幼い弟のふたりを救貧院とは名ばかりの最悪の福祉施設に放り捨てた。院内では老若男女の区別はなく、淫売や浮浪者、性病患者で溢れ返り、看守からの暴力や虐待、収容者間での殺し合いも頻発する地獄だった。満足に食事も取れない不摂生で劣悪な環境は、たった数ヶ月でAからふたつのものを奪った。ひとつは最愛の弟。(中略)もうひとつは光。極貧家庭で患った眼病は治療されることなく放置され、救貧院で病態は増悪し、彼女の目は盲目同然と化した。(中略)Aはおよそ4年間をその救貧院で過ごす。 

救貧院の描写についてはかなりショッキングな記述もあり、ここではあえて中略しています。まぁ、つまり、ここで引用した内容よりも、更に凄まじい環境だったということです。

Bのヘンリー・ルーカスもまた、負けず劣らずのひどい生い立ちなのですが、平山夢明さんは、次のような疑問を呈します。

魂が無垢であった頃、残酷で情け容赦の無い体験を押しつけられたふたりのその後には何故このような差が生まれたのだろうか? 何がサリバンには起き、ルーカスには起きなかったのか? 何がサリバンに正しさと克己心を与え、ルーカスからは根こそぎ其れらを奪い去ったのか…

 

悲惨極まりない生い立ちを越えて「奇跡の人」となった、アン・サリバン。彼女は果たしてどのような人物だったのか。ヘレン・ケラーの偉人伝を読んだのは確か小学生の頃。ウン十年の時を経て、今度は、その師であるサリバン先生について調べてみることにしました。

アン・サリバンを知るための本4選

①『サリバン先生』奥泉モト(集英社)

 

今回色々調べた結果、アン・サリバンに焦点をあてた著作は非常に少ない、ということを知りました。その中で、子供向け学習漫画として、サリバン先生に光を当てたこちらの伝記は画期的。

通常ヘレンの伝記では、2人の出会いから始まることがほとんどですが、この本では、サリバン先生の子供時代から語られます。救貧院に入れられたこと、愛する弟の死、14歳のときに視察にきた州慈善員会に勉強がしたいと訴え、パーキンス盲学校にうつるチャンスを得たこと。これまできちんとした社会生活を送ったことがなく、知識がない恥ずかしさから反抗的な態度を取り「ミスかんしゃく持ち」というあだ名を持っていたこと。

また、盲学校で、目も耳も不自由なのに教育の成果で指文字で会話ができるようになったローラブリッジマンとの交流も描かれ、後のヘレンへの教育につながっていることが分かります。

サリバン先生は一度結婚しているのですが、実はその結婚生活もヘレンと3人一緒の生活でした。結婚生活は9年続きましたが、サリバン先生はヘレンと共に全米各地を講演するため留守がちで(その期間は1年に渡ることもあったようです)、そのすれ違いから結局離婚に至ります。

彼女にとっては生涯に渡って、夫よりも誰よりもヘレンが一番だったのだろう、と思わされる1冊です。

※サリバン先生は、目の手術を複数回繰り返し、ヘレンの元へ来たときには「弱視」まで復活していました。

 

②『わたしの生涯 ヘレン・ケラー自伝』レン・ケラー作 今西祐行訳(講談社火の鳥伝記文庫)

 

ヘレンが22歳のときに書いた自伝。ヘレン本人の目線から、三重苦の自分が、どのように指導され言葉の習得に至ったのか、が語られます。

この本で私が最も心に残ったのは、ヘレンの大学時代の逸話

彼女は、実はとんでもない高学歴。ラドクリフ大学(現在のハーバード大学)を卒業しています。ヘレンの大学へのチャレンジは、周囲の親しい人たちから無謀だと反対されます。しかし自分の力を試したかったヘレンは、サリバン先生と「二人三脚」で勉強に取り組み始めます。

まずは、準備のため、ケンブリッジにある女学校に入学しますが、目が見えない、耳が聞こえない生徒の入学実績はないわけです。つまり、受け入れスキルがなく、何のフォローも受けられない。授業はすべてサリバン先生がヘレンの手に指文字で綴る、という方法で通訳していました。凄まじいですね。

教科書は、友人に点字に通訳してもらうことをお願いしたそうですが間に合わず、教科書の内容も、サリバン先生が手に綴って教えていたそうです。

考えるだに困難な状況ですが、ヘレンは、見事試験をパスしてラドクリフ大学に合格するんです!!!すごすぎ。

しかし、大学へ入っても試練は続きます。女学校より更にスピーディに進んでいくハイレベルな講義。しかも、ラドクリフ大学は障がい者であるヘレンの入学を歓迎していませんでした。当然のごとく、これまた一切の手助けなし。サリバン先生は講義内容をヘレンの手に綴り、友人の点字翻訳が間に合わなかった教科書は、引き続き通訳しました。

他の生徒たちの何倍もの集中力と猛烈な時間をかけて、ヘレンとサリバンは勉強を続けたのです。「二人三脚」と言う言葉がこれほどぴったりくる状況があるでしょうか。しかも、彼女はラドクリフ大学を優秀な成績で卒業しました。

必至の努力で大学への入学とそして卒業を成し遂げたヘレンとサリバン先生。それは彼女の受け入れを歓迎しなかった大学と偏見を持っていた世間をあっと言わせました。その偉業はヘレン・ケラーとサリバンの2人がかりでなければ、成し遂げることはできなかったのです。

 

③『ヘレン・ケラーはどう教育されたか-サリバン先生の記録-』著者 アン・サリバン 訳者 槇恭子(明治図書出版株式会社)

1歳8ヶ月で視力と聴力を失って以来、何の教育も受けずにきたヘレン・ケラー。そんなヘレンのもとに、パーキンス盲学校を卒業したアン・サリバンが教師として推薦されてくるのですが、サリバン先生はこのとき若干21歳。サリバン先生が親友のホプキンス夫人(パーキンス盲学校の寮母でサリバンにとっては母親がわりであった)にあてた手紙で構成されているのがこの本です。

唐突に色々な人の名前が出てくるため、読みにくいところもありますが、実に素晴らしい内容なので、教育関係の仕事をされている方、そして子育て中のすべての親御さんにぜひ一度読んでみてほしいです。

言葉が一切通じず、たえず癇癪をおこし、制御のきかない状態だったヘレン。そんな彼女の教育に、どうやってサリバン先生は成功したのか。

◆後世に残る「「ウォー」の名シーン」は赴任後わずか1ヵ月!

この本は、手紙で構成されているので、それぞれのエピソードに日にちが入っているのですが、非常に驚かされたのが、ポンプ小屋でコップに水を注いでいるときに、ヘレンが「物にはそれぞれ言葉がある」ことを認識して「ウォー」と叫ぶ超絶有名シーン(人気漫画「ガラスの仮面」のワンシーンでも有名ですよね!)。皆様、きっと記憶にあることでしょう。

 

あれ、サリバン先生が赴任してたったの1ヵ月後の出来事なのです!! そう、わずか1ヵ月間で、自分を伝える術を持たず癇癪を起して暴れていたヘレンに、「物と言葉の関連づけ」を認識させることに成功したのです。

そこからヘレンは、世の中に存在する物、すべての名前を知ることを欲し、地面に雨が沁み込むように言葉を吸収していきます。

◆「授業」という形式は一切取らない

サリバン先生の特徴は、時間を決めていわゆる「授業」をする、という方法を取らなかったこと。共に生活しているからできることですが、ヘレンに物を渡した瞬間、ヘレンの心が動いたとき、疑問を持ったとき、不思議を感じたとき、すべての瞬間瞬間を逃さずに、手に指文字で綴り、繰り返し繰り返し言葉を伝えました。

その際に、「同じ一つの考えを伝えるのにいくつものちがった表現を使うように」したり、「情緒や知的内容や道徳的内容および行動を表すような単語は、常にそれらのことばを要求するような状況と結びつけて使うことを実践」。

そして何よりも大事にしたことは、「言語を教える目的のために、言語を教えたのではない。考えを伝える手段として不断に言語を用いたのである」ということ。

ヘレンがすべての物は名前をもっているということに、また、指文字を使ってこれらの名前を人から人へ伝えることができるということに気づくや否や、私は彼女が喜びながら名前を綴ることを覚えたその対象について、さらに深い関心を目覚めさせるようにした。私は決して言語を教える目的のために、言語を教えたのではない。考えを伝える手段として不断に言語を用いたのである。(中略)言語を知的に使うためには、人はそれについて話す事柄をもっていなければならず、また、話す事柄は経験の結果もつことができる。子どもが人に伝えたいと思う事を心の中にはっきりともっていないとしたら、また他人の心の中にあるものを知りたいという欲求を彼らのなかに目覚めさせることに成功しなかったとしたら、どんなに言語の訓練をしても、彼らが容易にしかも流暢に言語をつかうようにすることはできないだろう。

◆知っている単語だけで本を読む

ヘレンは本からもさまざまな知識を得ていくようになりますが、覚えている単語が少ししか出てこない文章や本も、サリバン先生はどんどん読ませました。知っている言葉をつなげて、新しい語の意味は類推していく、と言う方法でヘレンはさらに語彙を増やし、複雑な文章も読めるようになっていったのです。

◆天才はサリバン?それともヘレンの方だった?

「ヘレン・ケラーの成功は、生まれつきの能力によるか、あるいは彼女の受けた教育方法によるものか」という問いも出てきます。つまり、ヘレン・ケラー、サリバン先生、どちらが天才だったのか、ということ。サリバンの教育方法が素晴らしかったのは疑う余地がないと思いますが、ここまでの成果が上がったのは、教育を注ぐ相手がヘレンだったから、とは言えるかも知れません。互いに高め合うことになった稀有な組み合わせだったのでしょう。

とにかく子育て中の親ならばヒントになることがたくさん出てきますし、英語教育や、新しく語学を学ぶ際にも示唆にとぶ内容だと感じました。名著です。

 

④『ヘレン・ケラーを支えた電話の父・ベル博士』著者 ジョディス・セントジョージ 訳 片岡しのぶ(あすなろ書房)

最後に紹介したいのは、電話の父として歴史に名を残すアレグザンダー・グレアム・ベル博士との交流を描いた1冊。電話の発明者という面があまりにも有名ですが、実は彼にはもう一つの顔があり、それは、聴覚障がい者教育に生涯情熱を注いだということ

実はベルの母と妻も聴覚障がい者であり、晩年のベルは「どんなときも、電話の発明者としてより、耳の聞こえない人たちの教師として評価されるほうがはるかに嬉しい」と語っています。

 そんなベルとヘレンの出会いは、ヘレンが6歳の頃。相談に訪れたヘレンの父に、ベルは「パーキンス盲学校の校長に手紙を書いて、お嬢さんのために先生を見つけてもらいなさい」とすすめます。サリバン先生がヘレンの元へやってくることになったのは、このやりとりがきっかけ。ヘレンとサリバン先生の橋渡し役はベル博士だったのです。

ベルは生涯に渡って2人を支え、サリバン先生の教育方法を高く評価し続けました。

また、他の著作には一切出て来ない、ヘレン・ケラーの恋愛(ヘレンが36歳のときに29歳の青年と結婚の約束をしますが、周囲の猛反対にあい、結局うまくいきません)も描かれており、その意味でも貴重な1冊です。ベル博士だけは、ヘレンも一人の女性として恋愛や結婚をした方がよい、と彼女にすすめていました。

支え理解してくれた存在がいたからこそ、サリバン先生もヘレンを支え続けることができたのだと知ることができます。

 

アン・サリバンとヘンリー・ルーカスの相違点

さて、アン・サリバンについて書かれた4冊の本をご紹介してきたところで、平山夢明さんが提示した最初の質問に立ち返りたいと思います。

「魂が無垢であった頃、残酷で情け容赦の無い体験を押しつけられたふたりのその後には何故このような差が生まれたのだろうか? 何がサリバンには起き、ルーカスには起きなかったのか? 何がサリバンに正しさと克己心を与え、ルーカスからは根こそぎ其れらを奪い去ったのか…」

 

ヘンリールーカスは幼少時より実の母にひどい虐待を受けたことで脳に障害を負い、衝動を抑えることが難しかった、とも言われています。なので一概に上の問いに答えを出すことは難しいのですが、思考実験の一つとして考えてみます。

 

暗闇から救われたのはサリバン先生

アン・サリバンは、ヘレン・ケラーを暗闇の世界から救ったように見えて、その実、精神の暗闇から救われたのはサリバン自身だったのではないか、そう思うのです。

彼女は最初から「奇跡の人」だったわけではありません。ヘレンに必要とされる中で「奇跡の人」に育ったのではないか、と。

『ヘレンケラーはどう教育されたか-サリバン先生の記録-』の中で、自分がヘレンのところへ来た理由を、「博愛主義からではない」「生活費を稼がなければならないという事情から」だったとはっきりと述べているサリバン先生。

 

彼女はヘレン・ケラーと関わり、彼女の猛烈な成長を支える中で、「毎日毎日仕事がおもしろくなってきて、私は夢中になっています。ヘレンはすばらしい子どもで、自分から熱心に学ぼうとしています」「自分が世の中の役にたっているとか、誰かに必要とされていると感じることは大変なことです。ヘレンはほとんどすべての点で私を頼りにしてくれますが、このことが私を強くし、喜ばせてくれます」と語ります。

孤児として孤独の中で生きてきたサリバン先生にとってヘレン・ケラーは家族であり、また情熱と仕事の成果でもありました。彼女を生涯支えることが彼女の誇りと生きがいであり、それ故、彼女は正しく生きることができたのではないか、そんな風に思うのです。

人は誰かを救うこと、助けることで、自身が救われ助けられる。サリバン先生の生き様を見ているとそう感じるのです。

 

おまけ

今日紹介した4冊は、ヘレン・ケラーを「偉人」として描いていますが、ヘレンケラーが神格化されることに異を唱える『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛をこめた一方的な手紙』という異色作も。フィクションとノンフィクションの垣根を超える試みのようですが、ヘレン・ケラーの恋愛面等に対してもはや妄想レベルの予想(?)を繰り広げる内容で、よくも悪くもかなりの問題作です。作者はヘレン推しで、サリバン先生のことはよく書かれていません。興味のある方はこちらもどうぞ。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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