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10万冊以上!の本を収集する読書家は、もういない。津野海太郎『最後の読書』

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どうも、tamaminaoです。

今さらですが、本が好きです。大好きです。

多分、本がないと生きていけません。

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 しかし、このところ老眼が進み、読書に影響が出始めました。何歳まで本が続み続けられるんだろう、そんな不安を感じる中、手に取ったのが、

津野海太郎(つのかいたろう)さんの『最後の読書』。

 

最後の読書

最後の読書

 

 

ひとの一生がまもなく終わろうとしている。と思ったら、「最後の食卓」でも「最後の旅」でも、いわんや「最後の恋」でもなく、ごく自然に「最後の読書」というフレーズが頭にうかんだ。しかたないか。あまりにも長い時間を、本とともに生きてしまったのだものー。(津野海太郎『最後の読書』「あとがき」より)

わずか10行に100冊分の教養を感じるものすごい本 

御年83歳になる、筋金入りの読書家、津野さんによる著作。猛烈な読書量によって有機的につながった知識から生み出されるエピソードの数々は、とてつもなく深くて面白くて。わずか10行程度読んだだけで、そこに100冊分くらいの教養を感じる濃さ!! 

10行で100冊感じるんですよ!? まるまる1冊の背後には、どれだけ天文学的な読書量が隠れているのか。83年間読んで読んで読み続けた人にしか書けないです、こんなすごい本。

 

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実は『最後の読書』と並行して、最近の自己啓発系の方が書いた読書術の本も読んでいたのです(あえて書名は伏せておきます)。その本だけ読んだらそれなりの感想が持てたのかも知れませんが、『最後の読書』と比べてしまうと、もうあまりに薄っぺらくて…。津野さんと比べること自体が無理ゲーなのかも知れませんが。この境地まで達することは、例えば私程度には、500年くらい生きて読み続けても、無理な気がしちゃいました。

 

10万冊以上の本を収集するトンデモ読書家たち

この本は全部で17の章に分かれているんですが、私が特に面白かったのは「7 蔵書との別れ」という章。本を大量に収集してきた方々が老後どうしていくか、というお話しです。

 

そもそも「蔵書家」と言われる高名な方たちがどの程度本を貯めていたか。

井上ひさし(想定される所蔵冊数は十四万冊)、谷沢永一(十三万冊)、草森紳一(六万五千冊)、山口昌男(冊数不明、もはや本人もわからない)、渡部昇一(十五万冊)といった人たち―。

すごい数字ですよね……!!! どうですか、皆さん、自分の連れ合い(もしくは家族)が家に10万冊以上の本を貯め込んだら!!  

というか、確実に床が抜けるし、普通の家には収納不可能ですよね、そもそも。

 

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生涯をかけて集めた3万冊の蔵書との別れ

この章では、評論家・作家の紀田順一郎さんが自身の蔵書と別れることになるエピソードがメインで紹介されるのですが、涙と笑いの両方があふれでました。 

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紀田さんは60歳を過ぎたころに、岡山に書斎と書庫を中心とする新居をもうけ、3万冊の蔵書をそこに収納していましたが、80歳を過ぎたころ、身体のおとろえや住宅の老朽化などの理由から、シニア向けマンションに引っ越すことに。

つまり、蔵書3万冊をどうにかしなければならない!!

という、「すさまじい決断」をしいられることになります。どうしても別れるに忍びない本600冊のみ(これでも相当な量ですよね!!)を残して、あとは売り払うことになるのですが、人生をかけて集めた蔵書とのお別れのシーンがすごいです。

ちなみに、蔵書は2台の4トントラックで運ばれて行きます。私の頭の中では「ドナドナ」が流れました……(涙)

 

いまにも降りそうな空のもと、古い分譲地の一本道をトラックが遠ざかっていく。私は、傍らに立っている妻が、胸元で小さく手を振っているのに気がついた。その瞬間、私は足下が何か柔らかな、マシュマロのような頼りないものに変貌したような錯覚を覚え、気がついた時には、アスファルトの路上に俯せに倒れ込んでいた。

 

蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか

蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか

 

 

そうなんです、倒れてしまうくらい、つらいつらいお別れだったわけです、紀田さんにとっては。ただ悲劇は喜劇の一面も持つもの。コレクションとのお別れに倒れてしまうその様子は、大変申し訳ないのですが…そのあまりの深い愛ゆえに、涙と切なさと笑いと…それらが同時に浮かんでしまうそんなシーンではありました。

 

蔵書家はもういない

家中が本であふれて風呂場にも入れない、そんなトンデモ蔵書家の映像をテレビや雑誌などで見たことのある方もいるのでは。しかし、電子書籍の隆盛もあるでしょうが、最近はそういう人は見ないような。そう思いながら読んでいたら、津田さんが、次のように解説していました。

 

じつをいうと、私はつい最近まで、こうした過度の蔵書欲は時代や環境の別なく、本好きの人びとに共通するごく当たりまえの習性なのだろうと、なんのうたがいもなく思っていた。でも、かならずしもそうではなかったのですな。

紀田順一郎さんを始め、上に名前をあげた蔵書家の方々は、1940年代に幼少期を過ごしているとのこと。大日本帝国敗戦の1945年には、大人の本と子どもの本、そのすべてをひっくるめて、たったの658点にまで、日本の年間出版数が減ったのだとか

つまり、この時期に育ち、「本への底なしの飢えとともに育つほかなかった」世代に、「通常の「規模をはるかに超える」個人蔵書の巨大化がすすんだ」のだと津野さんは語ります。

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森鴎外や夏目漱石のような戦前の知識人たちもここまで本を貯めていなかったし、この後の世代(現在の私たちも含め)にもいない模様。

今後は電子書籍の中に10万冊以上貯める人はいるかも知れませんが、リアルに収集する人はいなくなるのかな…なんだか寂しい気もしますね。

 

もし有り余るほどのお金があったら

もし、自分に使っても使っても余るほどのお金があったら。

家の中に私設図書館ばりの部屋を作りますね、私は。

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ずらーっと書棚を並べて、お気に入りの本やこれから読もうと思っている本を、種類や作者別にキレイに美しく並べて、その並びを眺めているだけでも、1日うっとり過ごせます。

やっぱりリアルな本の見た目や並びや匂いや触り心地って、どうしても特別な気がしてしまうのです。

なので、足元を這うアリどころかゴミ粒一つにも及びませんが、知の巨人であっただろう蔵書家の人たちの気持ち、わかる気がするのです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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