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無意味に努力することそのものを楽しむ! 稲垣えみ子『老後とピアノ』

どうも、tamaminaoです。

本日は、私より少しだけ年上の稲垣えみ子さんの著書、『老後とピアノ』を紹介したいと思います。「来た! 私のための1冊!」と叫びましたよ。

私事で恐縮ですが、中学生までピアノを習っていました。当時は弟二人も一緒に習っていましたが、練習嫌いな彼らは早々にドロップアウト。私一人がずぶずぶにピアノにはまり、休みの日は朝から晩まで弾いても飽きず、「ピアノは自分にとって第2の言葉」と思うくらいまで入れ込んでいました。

ところが、中1のときに大きな病気をしまして。半年以上に渡って入院したため、学校にも通えず、当然ピアノからも離れざるを得なくなりました。以来、私の中ではずっとピアノへの片思いが続いています。

できることならまた弾きたい、習いたい。そんなわけで、この本を知った時は、すぐに手に取りました。

ピアノの本か。じゃぁ、関係ないや、と思った方! ちょっとお待ちください。1965年生まれの著者(現在57歳ですが、本執筆当時53歳でした)が、ピアノを習いなおすことを通して、これからの生き方を見つめていくお話なんです。

歳をとってからの人生に不安や悩みがある、そんなすべての方に読んでほしい1冊です。もちろん、ピアノが大好きな方、これから「大人のピアノ」を始めたいという方はぜひ。

 

著者の稲垣えみ子さんとは

『老後とピアノ』の著者である稲垣えみ子さんは、元朝日新聞の記者。論説委員、編集委員を務め、2016年に50歳で朝日新聞を退社しました。その経緯は『魂の退社』に詳しいです。

何と言っても印象深いのは強烈なアフロヘア。

↓ こんな感じの方です。

 

本の帯にもある通り、天下の朝日新聞の記者だったとは思えないファンキーさですよね( ´艸`)。

退職後は冷蔵庫なし、電気もガスも極力使わないというミニマリスト生活を送っており、その生活の様子を綴った著書も人気です。

 

 

「大人のピアノ」は「生産性」の対極

さて、私より少しだけ人生の先輩である稲垣さんは、最初は、以下のような意気込みで、子ども時代に経験のあるピアノを再開します。

いやね、最初は単に上手くなりたかった。何しろ時間はあるのだし、コツコツ努力すればピアニストにはなれずとも、何某かのモノにはなるだろうと。そう何事もやればできる! 老いたって若者になんか負けるもんか!いくつになっても夢を諦めない!…ってやつですな。要するに私だってまだまだ生産性があるのだと証明したかったのであります。

うんうん、分かります。私だって、体力知力落ちまくりの中、ズタボロになりながら、日々必死で「生産性」を追いかけています。ほんと、必死です。

しかし、稲垣さんはピアノに「生産性」を求めることは難しい、とすぐに気づきます。

 

とんでもなかった。あまりに分不相応な挑戦であった。ただでさえピアノという山はとんでもなく高いのだ。それを、人生の盛りをとうに過ぎたものが登ろうというのである。衰えた身体ではすべてが思うようにいかず、なんとか思うように行かせようと老体に鞭打ったら壊れそうになった。なるほどもう私はそのようなトシなのだ。これまでは必死に努力してなんとか一歩ずつ階段をあがってきたけれど、これからは努力しても階段を上がれなくなるのである。仕方なく、どこに向かっているのか、進んでいるかもわからぬままに、ただただ目の前の曲に取り掛かるしかなくなった。これを通常は「時間の無駄」という。

「無意味に努力することが楽しい」という新しい価値観

「時間の無駄」! 悲しすぎる……!!と思いながら読んでいましたが、

「やってみれば案外悪くない出来事」と彼女は思うようになります。

「目標がなくとも、どこにも向かっていなくとも、今この瞬間を無意味に努力することそのものが楽しいなんていう世界があったのだ。なるほど私にとってピアノとは、老い方のレッスンなのかもしれない」と気づきを得ます。

 

「今この瞬間を無意味に努力することそのものが楽しい」、これはすごいことですよね。目標や結果やお金を求めるのではなく、取り組む時間そのものがただただ楽しい、なんて。思うに人生の幸せ度はそういう「何か」を見つけた人には到底かなわないだろうなと思います。



手の痛みからピアノを弾けなくなる恐怖に陥る

成功も失敗もない。上も下もない。どんなに凡庸な人間でも、自分の心の中のどこかに隠れていた美しいものに、自分の手で火をつけることができる。(中略)仕事がうまくいかずとも、大事な人に裏切られても、ピアノの前に座るだけで幸福と安心を感じるのである

ピアノにとことんハマった稲垣さんですが、そこは40の手習いならぬ50の手習い。練習のし過ぎで手の痛みが続くようになり、年齢的・身体的に自分にピアノは無理だったのでは…と激しく落ち込んだりもします。

これは年を取ってから新しく何かを始める際にありがちなトラブルのような気がします。私も数年前ウクレレにチャレンジしたところ、ウクレレの姿勢が合わず、首が痛くて回らなくなり…結局弾くのをやめてしまいました。ああ…( ;∀;)

さて、稲垣さんはそれらを乗り越えて最後、次のような境地に辿り着きます。

 

老人は今に全てをかける

衰えたら衰えた分だけ、練習の目標を低くすればいいのである。4小節が無理なら1小節、1小節が無理なら1音、それも無理なら片手だけ…とどこまでも目標を「割って」いけば良いではないか。たった1音を右手でポーンと、美しく弾く。それならば90歳になろうが100歳になろうが絶対にできそうである。っていうか、たった1音を美しく弾きたいという情熱があることが既にすごすぎる。

(中略)

若者は目標を高く持ち、そこに向かって進んでいけばよし。でも老人は違う。遠くに目標は持たず、今目の前にあるミクロのことに全力をかける。野望を持たず、今を楽しむ。自分を信じて、人を信じて、世界を信じて、今を遊ぶ。そこに思いもよらぬ美しいものが現れるのである。それをただただ楽しめば良いのではないだろうか。老人は今に全てをかけるのだ。

野望を持たず、今を楽しむ。

今にすべてをかける。

「今この瞬間」を大切にする、いわゆるマインドフルネス的思考こそ、老人には必要である、ということですね。

 

情熱を傾けられる何かを

悲しいことですが、「好き」に没入しすぎると、身体に負担がかかる年齢になりました。稲垣さんがピアノに入れ込み過ぎて手を痛めたように、読書に集中すると目の痛みが悪化、ブログを書き始めるとひどい肩こりやぐるぐるめまいまで発生。

若者のように、好きだから、楽しいから、いくらでもやり続けられるわけじゃない。むしろ、好きだから、楽しいから、細く長く続けていけるように、自ら好きなことにストップをかけ、身体のケアをすることが必要になりました。

そんな自分が寂しくつらい、と思うこともあるけれど、「衰えたら衰えた分だけ、練習の目標を低くすればいい」と言う言葉にすごく驚かされました。私の人生には、これまでなかった価値観です。今までもそしてこれからも、登っていかねばならない、上を目指さなければならない、と当然のように思い込んでいました

そうか、衰えていくことは別に悪ではない、目標を低くしたっていいんだ。何だか目から鱗に思えました。

 

やっぱりピアノを始めよう

時は戻りません。だからこそ、歳をとることは誰にとっても初めての経験。見えない未来に怯えるよりも、老人は「今ここ」に集中しよう、と稲垣さんは語ります。

そして、今この瞬間を充実させるためには、やはり好きなことをやるしかない、と私は感じました。ポーン、と音を鳴らすだけで胸が高鳴るくらいの何か。できないことが増えても、登っていくことができなくなってもなお、情熱を傾けてしまうもの。

うん、やっぱり私はピアノ始めよう。

私の結論はそこなんですが…

読む人によって、さまざまな学びと気づきがあるだろう1冊です!

 

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