50代から始めるブログ  

現役編集者によるおすすめの本や漫画の紹介です。

「エモい」とはこういうことだ! 『ボクたちはみんな大人になれなかった』(燃え殻)

※ 本記事には広告のリンクが含まれます。ご了承ください。

どうも、tamaminaoです。

売れている本は、仕事柄もあり、できる限り読みたいと思っているのですが、燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』(新潮社)は、何となく手を出さずにいました。

ベストセラー&映画化という華々しい1冊なのに。いや、華々しい1冊だからこそ、先入観が邪魔をして…「こういうのはいいかな」って思っていたところがあります。

しかし、ひょんなことから、燃え殻さんのお悩み相談を読む機会があり、そしたらこれがものすごく面白くて! 俄然興味が沸騰。で、ついに読んだわけなんです、『ボクたちはみんな大人になれなかった』(新潮社)を。

 

 

 

音楽を聞き終えたかのような読後感

2時間程度で読了しました。

読後感は、なんとも不思議。引っかかって止まる箇所がなく、小説を読んだというよりは1曲の音楽に聞きいっていたかのような、そんな感覚。これは新しい! 2時間程度、という小説内滞在時間も関係しているかも知れません。

糸井重里さんが「リズム&ブルースのとても長い曲を聴いているみたいだ」という言葉をこの小説に贈っていて、あっ、やっぱり、音楽っぽいんだ!って思いました。

私的にはリズム&ブルースというよりは、80年代シティポップ、的な感覚でしたが。

www.bokutachiha.jp

90年代サブカルチャーがこれでもかと描かれる

主人公は40代の男。テレビの美術制作を主に手掛ける会社で働いています。彼が今も思いを残すのは20代のときの鮮烈な恋愛。社会の数にすら入っていなかった若き頃、「最愛のブス」彼女は自分自身よりも大切な存在でした。現在と交錯させながら過去の日々が色鮮やかに語られます。

90年代サブカルチャーにどっぷりつかった青春を送っていた自分には、悶絶するようなワードが頻出してきます。

 フリッパーズギター、コーネリアス、小沢健二はわたしの王子様です、電気グルーヴ、大友克洋、押井守、中島らも、中央線の中野、アニエスベー、無印良品が1番おしゃれ、エヴァンゲリオン、彼氏をキミと呼ぶ

等々。

ふぅ…書いていても赤面が止まりません。特に彼氏を「キミ」と呼ぶあたり。

当時の自分の「痛さ」が思い出され、気恥ずかしさに読みながら悶絶しました。同時にあの時代への懐かしさもあふれだし、サブカルチャーについて熱くウザく語り合っていた青春時代が蘇りました。青春なんて後から振り返ったら、恥ずかしいことだらけだよね。

40代から上の人間で、サブカルにハマった時代を過ごしていた人なら、このテーマと内容だけでもエモいわけですが、そこから下の若者世代にも受けているというところが面白い。

f:id:tamaminao:20220223143941j:plain



「エモい」という意味が体感できる小説です

さて、今私は「エモい」という表現を使いましたが、正直50代には「エモいって、どういう意味だよ」とあまりピンとこない言い回しです。

ウィキペディアで調べると下記のように出てきます。

エモいは、英語の「emotional(エモーショナル)」を由来とした、「感情が動かされた状態」、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」などを意味する日本のスラング(俗語)、および若者言葉である。

「情緒がある」「抒情性のある」みたいなことかと私は理解しています。しかし、やっぱり何となく腑に落ちない感覚がこの言葉にはあったのですが、燃え殻さんの小説を読んで、「これか!この感じがエモいってことか!!」と、私の中でようやく言葉と感性が結びついた感じがしました。

今後、「エモいって何ですか?」って聞かれたら、そっと燃え殻さんの小説を渡そうと思います。

f:id:tamaminao:20220223144525j:plain

イラストACで「エモい写真」で検索したら出てきました(^▽^;)

 

ナルシシズムに行き過ぎない絶妙な立ち位置

私は、「エモい」は「キモい」に通じるところがあると思っていまして。情緒や叙情性はナルシシズムと紙一重。ある程度自分に酔うことが必要と思いますが、酔いすぎてナルシシズムが全面に出てしまうと、途端に「エモ」は「キモ」へ反転するものだと思うんです。

『ボクたちはみんな大人になれなかった』は、奇跡的なバランスで、「キモい」一歩手前の「エモい」で止まっている。

 

f:id:tamaminao:20220223145026j:plain

例えば、主人公はテレビ関連の美術制作会社で働いていますが、徐々に成功し、華やかなテレビやマスコミの人たちと関わっていくことになり…それらの場面は、一歩間違えるとマスコミ野郎の勘違い自慢へと向かっていく可能性大です。

また、「最愛の彼女」は「ブス」設定なのですが、ブスの表現の仕方によっては、ルッキズムを加速させる、女子から嫌われる小説へと堕します。

さらに言うと、超絶美人らしい風俗関係の女性から何でだかモテちゃうシーン。特に何もしてないのにいい女が寄ってきちゃうオレどう?的なモテ自慢かよ!?と解釈されるかも。

しかし、これら全ては、針1本の着地点のような非常に危ういバランスで、決して自慢になっていない! ナルシシズムに行き過ぎないセンチメンタルな感じ。何とも透明感があって抒情的。奇跡的なバランス感がこの小説のエモさを成り立たせている、と思うわけです。

美術制作という裏方の仕事をしているからこそ

『ボクたちはみんな大人になれなかった』は、エッセイ小説、自伝小説、という立ち位置です。読み手は、主人公を作者の燃え殻さん自身と重ねて読むわけですが、実際、作者の燃え殻さんはテレビの美術制作、というお仕事をされています。

これは私の勝手な憶測ですが、「おれが」「私が」と自己表現する人たちを小道具という「裏方」で支えるお仕事をされていることが、この世界観の構築につながったのではないか、と。

やりすぎない、浸りすぎない、客観性、というバランス感覚を仕事で学んでいるからこそ、と想像しました。

f:id:tamaminao:20220223145512j:plain

今後の作品も追いかけます

実は一番最近書かれた小説も読んだのですが…こちらは、『ボクたちはみんな大人になれなかった』と似通った登場人物、設定、世界観で…ちょっと、あれれ…と思いました。お話しとしては、面白いのですが。

自伝的小説ではない方向性で、この「エモい」世界観を構築できるのか。それともエッセイ的な方向性の方が輝く書き手なのか。次回作も純粋に楽しみにしたいと思います。

 

 

 

よろしければ読者登録をお願いします★