どうも、tamaminaoです。
コロナ禍の昨今、業績が悪化している業種は少なくないと思います。皆さんの会社はいかがでしょうか。そう、タイトル通りなのですが、私の勤務先は、2年連続でボーナスがカットになりました。全額です、全額カットですよ?
つぶれる、の・か・い? 声にならないそんな思いが会社中に漂い、見切りをつけて退職していくスタッフもいます。正直、自分の心も揺れ動いています。
ただ、現在自分は50歳。今の年で退職したところで、次の仕事など見つかるのか。それが何より不安です。ボーナスカット後、さらに業績が悪化していけば次は給与カットとなるわけで、どこまで耐え忍んでここに居続けるか、その判断も非常に難しい。
コロナの収束は後どのくらい?
「コロナはあと1年で収束します。2年後には業績復活しますんで、そこまでの辛抱ですから!」なんて期限が決まっていればいいですが、そんなことはないわけです。2年後、もとに戻っているかも知れないし、今よりさらに悪化しているかも知れない。予測のつかない未来を「予測」しながら、現在の立ち位置を決めていかねばなりません。
思えば、いつも収入や安定よりも「好き」を優先してきました。収入がよくてつまらない仕事よりも、収入や安定がなくても「楽しい」「好き」と感じられることを。若い時はそれでよかったのですが、一生のお仕事、として考えたときにそれでよかったのかどうか。つけが回ってきたような、そんな気もしています。
消費しない・働かない生活
そんなわけで、最近お金や生活にまつわる本を色々読んでいるのですが、一つの流れとして、欲望や消費生活を抑えることで、「ムリして稼がない」「働かない」人生という選択肢が出てきていると感じます。
以前に紹介した『年収90万円でハッピーライフ』(大原扁理/ちくま書房)、『「山奥ニート」やってます』(石井あらた/光文社)等で書かれている世界観です。
自分にご褒美マインドと手を切る
また、先日読んだひろゆきさんの『凡人道 役満狙いしないほうが人生うまくいく』(宝島社)もなかなか示唆に富んでいました。
章ごとに漫画が入っており、さらっと読みやすいですよ
多くの人がなりたいと思っている「お金持ち」は「単なる浪費家」
一生懸命働いていることを言い訳にして、「ご褒美エンジン」を使って自分の機嫌をとることがクセになっていると、生活コストは上がることがあっても下がることはありません
高いブランドでしか満たされない人より手軽なもので済ませられる人の方が幸せになれる、つまり、「お金」と「幸せ」は比例しない、と語ります。
一方で、金銭的な欠乏が人間の認知能力に大きな影響を与える、という実験結果についても紹介されており…つまり、貧乏な人ほどより一層失敗したりだまされたりするリスクが高まるよ、っていうこと!!!
おいおい、ひでぇ話だなぁと思ったわけですが、「たくさん稼いでいても「もっとお金がなければ、この生活を保てない」などのように欠乏への危機意識があると起きてしまう現象」とひろゆきさんは語っており、要するに、お金の心配で脳のシェアを使っている状態の人は、認知能力が下がっているよ、ということとして捉えました。
つまり、年収90万円でも、週休5日で楽しく日々を過ごしている大原扁理さんのような方は当てはまらない、ということですね。
生活レベルを落とす中でどう幸せを感じていくか
自分自身を振り返ると、バブルの呪いにかかっていた時期もあり、「私へのご褒美💛」「外食」「いい家」などが幸せマインドをアップするためのコマンドとして浮かんできてはしまいます。
今、原田マハさんの『さいはての彼女』(角川書店)という短編集を読んでいるのですが、40歳になろうとする独身女性が、1人で旅行に行く話がありまして。その彼女が泊まる自然と共存したナチュラルな宿が実に素敵なんです。女性一人客へのウザすぎない気遣いとか。ファッショナブルに装って食するディナーとか。当然ながら、お値段の高そうなハイスペックな宿です。こういった世界観への憧れと、そのような消費行動で幸せを感じるだろう一面はやっぱりあって。
消費生活ではなく感じる幸せ、というと、自分的にはやはり「読書」が筆頭に上がるわけですが、そういった趣味をさらに今後増やしていくことが、生活の質を高めることにつながるのかなと。
答えは出ないですが、色々変換していく時期なのかなと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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