どうも、tamaminaoです。
いきなり将棋の話しですが、昨日一昨日は豊島将之竜王と藤井聡太三冠の竜王戦7番勝負第一局目でした(2日制で行われます)。対局は見ていなくともテレビのニュースで御覧になった方もいることでしょう。
ちなみに竜王戦とは、読売新聞及び日本将棋連盟主催のタイトル戦で、名人戦に次いで歴史のあるタイトル戦。優勝賞金は何と4,400万円! 棋界最高額でも知られています。よく言われることは竜王は「そのとき一番強い棋士」、名人は「その時代で一番強い棋士」。
藤井聡太三冠が豊島竜王を破れば、名実ともに今年の実力ナンバー1は若干19歳のおれ様だ!(藤井三冠は絶対そんなことは言いませんが。私の気分的にはそんな感じです(^▽^;))となるわけで、すごいことですね。
さて、1局目の結果はどうだったかというと藤井聡太三冠の勝利!! 途中までこれは豊島が行くか!?と思ったのですが、やはり中終盤でやられてしまいました。何でしょうね、何であんなに強いんでしょう。
2局目以降も大注目なので、ぜひみなさんABEMAからの視聴がおすすめです。
さて、対局を見て熱く心が燃え上がっている最中、本屋へ行ったら、大好きな将棋漫画『3月のライオン』(羽海野チカ)の新刊が! 何というタイムリー。というわけで、前置きが長くしまったのですが、今回は『3月のライオン』16巻を紹介します。
将棋漫画が抱えるジレンマ
読んだことのない方のために、ざっくり荒筋を説明します。
主人公の桐山零は、幼い頃交通事故で家族を失い、父の友人である棋士の幸田に内弟子として引き取られます。15歳でプロ棋士になるものの、才能で桐山に叶うことのなかった幸田の実子たちとの軋轢、高校に編入したが周囲に溶け込めない、などその生活は孤独。そんな桐山は、橋向かいの三月町に住む川本家と出会い、その3姉妹と交流を続けることで、少しずつ変化していきます。
私、将棋漫画はかなりのところ読み漁っているのですが、将棋を描くという性質上、どうしても将棋の手や盤面に触れることになり、将棋を知らない人には理解できない、というジレンマが生じてきてしまうんですよね。
非常に難易度の高いジャンルで、最近も私的には素晴らしい将棋漫画の最終回(打ち切り)が続きました…。多分、一般受けがよくないのでしょうね。
将棋を知る人も知らない人も、どちらも楽しめる
そんな中、『3月のライオン』は本当に大健闘! 将棋の分からない読者層も共感できる恋愛関係、家族・人間関係・学校問題等を取り入れ、こちらのストーリーでも十分な読み応えと感動を与えながら、肝心の将棋ストーリーはめちゃ本格派。
将棋ファンって(私含め)、将棋の手や棋士やタイトル戦やに詳しく、将棋への愛も深いので、下手なことを書くと「こいつ将棋知らないな」ってバレちゃうんですよね。
その点『3月のライオン』は、ガチ将棋ファンもしっかり楽しめる内容になっています。先崎学棋士が監修についてはいるものの、作者の熱量や勉強量がものすごいのだろうなと感じます。
読みどころは主人公のリア充ぶり( ´艸`)
で、今回ついに16巻まで来たわけですが、まぁ、一番の読みどころは、孤独な闇を抱え将棋に全身全霊を捧げてきた主人公桐山零(きりやまれい)のまさかのリア充ぶり!!!
見て!この表紙を!!
可愛い女子にマフラーを巻いてあげてる…それとも「もっとしっかり巻きなよ」なんて言って直してあげてるの? えっ、この人棋士!? Σ(゚∀゚ノ)ノキャー
竜王戦を観戦しているとき、対局中の書き込みに、「桐山がリア充になりすぎて最近ちょっと…」的な書き込みがあり、まだ最新刊を手に入れていなかった私は「ほほう?」と思っていたのですが、16巻を読んで大きく納得。
いや、少し前の巻で既に桐山の恋が成就してカップルが成立してはいたんですが、まだこう、「始まったばかり」だったわけです。しかしながら、16巻では関係も深まりがっつりリア充( ´艸`)
で、読んだときに、心の狭い私は思ったんです。
桐山君、ダメだよ。幸せ過ぎるよ。勝負に負けるぜ、そんなじゃ。孤独で貪欲な天才はどこに行っちゃったの?
天才の友情は、深淵に潜る同じ冒険者
思えば、『明日のジョー』も大好きだった私。すべてを捨ててストイックに目的に邁進する、というのが「天才」のありようだ、という脳みそがあったんでしょうね。
上のようなことを思いながら読み進めたわけですが、後半に、何と私のこの思いに対する答えが描かれており、がつん!と頭を殴られるような衝撃を受けました。
以下、ネタバレ含むので、これから読むんだ!知りたくない!!!!と言う方は飛ばしてくださいね
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桐山の同年代のライバルとして、二海堂という棋士がいるのですが、彼は病気を抱え、その辛さ・大変さと戦いながら将棋に邁進しています。二海堂のモデルは病気で早世した村山聖(さとし)棋士だろうと思われます。
この二海堂と桐山の対局がこの巻のラストなのですが、二海堂は、リア充になってしまった桐山に複雑な感情を抱いています。それは嫉妬などという分かりやすい感情ではなく、将棋という深淵に潜っていく最大の仲間を失ってしまうんじゃないか、そんな恐怖なんですね。
ー俺はずっと心配だった
お前に恋人が出来て心を占めるものが将棋だけではなくなり
お前が変わってしまったらと
あの目の眩むようなギラギラとした
闇のような輝きが褪せてしまうのではないかと
ー冒険の最大の仲間を失うのではないかと
「苦しさ」がガソリンの巨大エンジンは必要なのか
さらに二海堂は考えます。
そのお前の持つ閃光のような輝きを
失ってもかまわないのか!?
惜しい 惜しすぎる 惜しすぎるだろうよ
オレだったら…オレだったら!!
絶対に手離さない!!!
ーその苦しさがガソリンの巨大エンジンを!!!
苦しさがガソリンの巨大エンジン。すごい表現だなって思いました。
しかしここで二海堂は気づくのです。もし神様が目の前に現れて、「お前の病をすべて取り除いてやろうか」と言われたらどうするだろうかと。
「とりますわ!!!取る取る、「完治取ります」!! コンマ0.00001秒で即答だわ!!」
「病いの苦しみをバネに…」って
治るならいらんわ そんなバネ
(中略)
バネなんぞ無くとも
ありとあらゆる方法を探し
全力&別ルートでのし上がって見せますわ!!!
つまり、苦しさがガソリンの巨大エンジンなんて、ない方がいいに決まっている!!それが二海堂の結論でした。そして思うのです。桐山は、苦しみと言うバネがなくなって、バネ以外の別ルートを初めて全身全霊で探し始めたのだ、と。
「ーやっと辿りつけたんだな お前のその名と同じ場所 始まりのスタートラインに」
結論!桐山はリア充でいい!!!
コンプレックスや心の闇、病気があったから頑張れた、というのは、夢に執念を振り向ける上でよくあることで、それら(苦しみ)は時に大きなバネやガソリンになりますよね。
バネがあったからここまで来れた。そう思う一方で、バネがなければもっと出来た、いや、違うやり方が出来た。桐山も二海堂もそんな二極相反する感情を抱いているのだろうと思います。
ラスト、二海堂から見た桐山は、これまでガソリンとしてきた「孤独」や「闇」というバネを捨てて、初めて本当のスタートラインに立ちます。この光さすようなラストに、私はものすごく胸が熱くなりました。
桐山はリア充でいい!!!!( ;∀;)
最後まで読んで、初めて私はそう思ったのです。『3月のライオン』、是非とも手に取って読んでほしいです。
他にも将棋記事を書いています。どうぞお読みください。
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