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美人とイケメンが得をする!「ルッキズム」について

先日、『ブスのマーケティング戦略』(田村麻美/文響社)という本をこちらのブログで紹介したのですが、その際に友人から「ルッキズム」という言葉を教えてもらいました。 

ブスのマーケティング戦略

ブスのマーケティング戦略

 

 

tamaminao.info

 

最近の造語らしいのですが、私はまったく知らない言葉でしたのでググって色々調べてみました。私なりの言葉でまとめると、以下のような意味になります。

ルッキズム

イケメンや美人や身体的魅力の高い人たちをちやほやし、一般的に身体的魅力が低いとされる人たちを差別する行為のこと。要するに、見た目でがっつり人を判断すること。

 

ウィキペディアもぜひ読んでみてください。

ja.wikipedia.org

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この言葉を知って、『ブスのマーケティング戦略』は、ルッキズムがはびこる世の中で、身体的価値が低いとされる自分がどう生きると損をしないか(むしろ得できるか)、を戦略的に考えた本なんだな、って改めて腑に落ちました。

言葉が誕生するときというのは、その現象が陽の目を見てカテゴライズされたとき。意識されないまま当たり前になっていた「顔面偏差値差別」がきっちりと言葉で表ざたにされたということなんでしょうね。

 

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でまぁ、今回はこのルッキズムを自分の体験から考えてみたいと思います。

 

イケメンには興味なし

私は、対男子に対しては、世間一般から「イケメン」と言われるタイプに何ら興味がありませんでした。

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今思えばルッキズムに汚染された女友達たちからは、

「珍味好き」

という言葉で揶揄されたこともありましたが、単純に見た目のよさに興味がなく、中身が面白い・面白くない、で選んでいただけ。そういう意味では、異性に関しては、私はルッキズムとは縁がなかった、ということになりますね。

ところが、こと女友達となると、私は明らかに絶対に「美人」が大好きでした。

 

「美人」が大好きすぎる私

さて、どのくらい「美人」が好きだったというと、高校のときには、美人の先輩に憧れてまとわりつき、卒業式に花束を渡したり。大学のときには、同じ学部でナンバー1女子を見つけ、すぐ隣に座り(ナンパかよ)真っ先に友達になったり。

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ちなみに「百合系」というわけではありません。単純にキレイな人が好きで、近くで見ていたし友達になりたかったのです。その一方、てめぇのお面の出来はさておき、不美人にはどこか馬鹿にした気持ちがあったような気がします。

 さて、何故こうなったかと言うと、それには自分の生い立ちが関わっています。

 

超絶美人だったうちの母

うちの母は、大変な美人でした。「●●小町」「ミス●●」と呼ばれるような存在で、

一緒にどこかに出かけると、必ずや、「お母さん、すごい美人だねぇ」と誉めそやされました。

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母の弟である叔父からも、

「姉ちゃんは美人だったから、つきあいたい男たちが、いっつもオレにお菓子やおもちゃを貢いできてな。子ども時代のオレは、お前の母ちゃんのおかげでいっつも得していたんだ」

と「美人姉」エピソードを聞かされていました。

 

でまぁ、娘の私も、実はこの美人の母親に瓜二つで……

 

 

と続けられたらよかったのですが、残念ながらそうはならず!!!

私は父親とクリソツな顔をしており、母を誉めそやす周囲の人たちは、必ずや母を褒めたあとに、

「お母さんに似てないのねぇ」

「まぁ、お父さんにそっくり!!」

と、今思えば、(ぷぷっ。これはかわいそうね)、みたいなニュアンスのことを平気で言われておりました。

あれこそルッキズムだったんですね! ルッキズム!!!!

 

女子の美醜にとんでもなく敏感に

母自身も、子どものときから「美人」「美人」言われ過ぎて、「美人」であることが呼吸をするように当たり前だと感じていた「美人」(しつこい)でした。

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私自身も、「母は美人だから」と人間がおしっこやうんちをするように(どういう例え?)当然のことと捉えており、母が平気で、

「うちの子供たちは誰も私と似ていなくて寂しいわ~」(意味:私の美を誰も引き継がなくて寂しいわ~)

と日々呟くことも、「当然」だと思っていました。

だって私の顔は、父親の顔を小さくしてそのまま乗せたんじゃねぇかと言うくらい父ににクリソツでしたし、「美人」な母と似ている「美人」な部分はどうやら見いだせなかったからです。

 

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美への執着が強すぎる

そんな幼少期を得て、美への憧れ、美人への憧憬が私の中に根強く住み着きました。

美人に近づきたい、美人とお友達になりたい

という気持ちはもちろん、自分を少しでも母側に近づけたい気持ちもあり、お年頃になると、化粧やおしゃれも頑張りました。若さと化粧力で、たまに「おきれいですね」「美人さんですね」などと言われようものなら大変な嬉しさでしたが、同時に、子ども時代の周囲の言葉を思い出し

「いや、ない、そ・れ・は・ないっ!!」

と心で全否定する自分もおりました。

 

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でまぁ、そんな顔面評価を気にする日々の戦いの中で生きてきたわけですが、まぁ、50代に入ってですね、なんだかどうでもよくなったんっすよ、そのあたりが

恋愛市場からもう降りた、というか。そうなってくると、今さら顔がいいだの悪いだの、どうでもいい話だなぁ、って平気で鼻くそほじって考えられるようになったわけなんですね。

 

かつての美人はどうなったか

でもって、かつての「美人」はどうなったかと言いますと、うちの母も今や70代後半。

うちの母を「美人だ」と言い「それに比べて私は」と言っていた同年代の親せきと並んでも、昔のような「差」などはもはや感じません。

 

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ルッキズムの根底にあるものって、私の生い立ち然り、ものすごく根深いものだなぁと思います。

  • 両親からどのように育てられてきたか
  • 両親同士が相手をどう位置付けどのような言葉で表現していたか
  • 成長期の学校での環境

などなど。たくさんの「育ち」が関わり、その中でルッキズムが育ってしまう気がするんです。

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一筋縄では行かない非常に難しい問題だと思うのですが、私自身、母と容姿を比べられてつらかったこと、大人になってからもずっとひきずったことを思うと、心や自尊心を大きく傷つける行為であることは間違いないですよね。

先にも書いた通り、「言葉」ができたということは、意識的に捉える風潮ができたということ。

息子たちの世代には、少しずつ変化が生まれてくるのかも知れません。

 

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